憧れのテアトロ・コロンへ~ブエノスアイレス編

11月4日

飛行機の窓からブエノスアイレスの市街地が見えて来た。大きい。
街

ブエノスアイレスでの大きな目的は、長年の夢であったテアトロ・コロンでオペラを観ること。18:30頃ホルヘ・ニューベリー空港に着き、オベリスコに近いイビスホテルにチェックインした後、早速着替えてテアトロ・コロンへ。

広場に面して堂々と建つコロン劇場。
劇場

ウェブサイトでチケットを買ったのだが、これまた予約できているのかよくわからないサイトであった。Eメールで問い合わせても返答なし。不安を抱えつつボックスオフィスに行ってみたところ、チケットは予約できていた。そしてなぜメールの返答がなかったかも、こちらへ来てよくわかった。英語での問い合わせなど、その時点でアウトなのだ。

劇場は1908年の完成で2487席プラス立ち見が1000名入る。2006~2010年にかけて改修工事が行われた。
劇場

客席は6階まであり、闘牛場のように大きい。
劇場

よくわからないウェブサイトのつくりであったので値段の高い席を購入するのは見送ったのだが、立ち見が入るフロアであったため、正面玄関からは入れず、劇場サイドの入口から入る。したがって荘厳なホワイエを見ることもなく、ひたすら階段を上がる。歴史ある劇場ならではの階級差が残っていた。
劇場

こんなに劇場のキャパシティが大きくて客が入るのか?と思っていたらびっしり埋まった。恐るべし。例えばニューヨークのメトロポリタン歌劇場やウィーン国立歌劇場のように連日公演しているわけではないので、その分ひとつの公演に対する聴衆の熱望があるように感じた。

驚いたのは立ち見客の熱心さ。私の席の近くでは、70歳代くらいの身ぎれいにした白人女性2人連れが立って観ていた。常連のようであったが、オペラを立って観るのは結構体力が必要でしんどいはずなのに、へっちゃらの様子に驚愕した。なんかとってもポジティブなのだ。

演奏前にオーケストラのメンバーがプラカードのように紙を掲げていた。「生活できる賃金を!」といった内容のよう。オーケストラを維持していくことにはここでも問題が多々ある様子。
劇場

2014年はリヒャルト・シュトラウスの生誕150年につき、テアトロ・コロンもリヒャルト特集を組んでいた。演目は「エレクトラ」。標題役はバイロイト音楽祭でブリュンヒルデやイゾルデを歌うなど、活躍中のリンダ・ワトソン。舞台セットこそ岩場を中央に据え、低予算をカバーしている風であったが、歌、オーケストラともに高いレベルで大変感銘を受けた。ヨーロッパの一流劇場に全くひけをとらないプロダクションであった。聴衆の数が多いので、大観衆が固唾をのんで舞台に集中している雰囲気は格別。

指揮:Roberto Paternostro
演出:Pedro Pablo Garcia Caffi
エレクトラ:Linda Watson
クリテムネストラ:Iris Vermillion
クリソテミス:Manuela Uhl

終演後は正面玄関へのルートを歩くことができた。高い天井、ステンドグラス、太い柱など、どれも堂々としていた。

公演ポスター。とてもグリーク。
ポスター

劇場の外に出たら、街はとてもにぎわっていた。

11月5日

街歩きの1日。国会議事堂と広場。
街

5月広場と正面奥が大統領府(カサ・ロサーダ)。〝エビータ″して知られるエヴァ・ペロンがバルコニーで演説を行った場所としても有名。ちょうどジャカランダが満開の季節で、いたるところに紫の花が咲き誇っていた。
街

大聖堂(カテドラル・メトロポリターナ)。5月広場周辺はよくデモが行われる場所で、訪れたのはちょうどお昼休みの時間帯だったのだが、デモの人々や警官が集まっていた。
教会

聖堂の外壁には1827年の完成時から絶やされたことのない火が灯されている。
教会

内部ではお昼のミサが行われていた。本格的な聖歌隊がギターの伴奏で歌う。オルガンではなくギターなところが印象的だった。熱心な信者が多数いた。
教会

南米解放のために戦ったホセ・デ・サン・マルティン将軍の棺がアルゼンチン、チリ、ペルーの聖女に見守られて安置されている。
教会

お昼ごはんは港の保税倉庫街を再開発し、おしゃれなレストランやカフェが並ぶスポットとして発展しているプエルト・マデーロへ。きれいな街並みが続く。上階はオフィスが占め、ビジネスマンも多い。
街

アルゼンチンへ来たからには、何はさておいてもお肉とワインである。ステーキハウスのLa Cabanaへ。

前菜3種。一番右はミートパイみたいな「エンパナーダ」。パイを揚げ餃子寄りにしたような皮で、レストランや街角など、どこででも見かけた。
料理

ミックス・サラダ。ここでもやしの芯が入っていた。
料理

お肉はロース肉をオーダー。分厚い。
料理

つけ合わせはほうれん草のグラタン。クリーミーなしっかり味。
料理

運河沿いのテラスで気持ち良かった。
料理

ワインはメンドーサのワイン醸造を牽引するワイナリー、ボデガ・カテナ・サパータのマルベック。

お肉の焼き加減は日本の感覚で「一番おすすめなのを」とお願いしたら、かなりしっかりと焼いてあった。こちらは「任せる」といったあいまいなやり方は通用しない文化なのだとわかった。
料理

お肉の味がちゃんとある。赤ワインとの相乗効果が抜群。
料理

お店の前にある牛の置物が目印。
レストラン

プエルト・マデーロ地区のオフィス街。写真には写っていないが、中国工商銀行のロゴとビルがとても目立っていた。
街

北半球は秋だが、南半球では春の緑が鮮やかな季節。コリエンテス大通り~フロリダ通り~サン・マルティン広場へと散策。
街

この日の夜はタンゴ・ショーへ。至近距離からダンサーを見られる小さなタンゲリーアにも魅力を感じたが、終演時間が遅いことなどを考慮し、ホテルから近いタンゴ・ポルテーニョを選んだ。テアトロ・コロンの並びにあって大勢の観光客も収容可能なシアター。
画像の説明

ショーはアコーディオン、ヴァイオリンなど12人のミュージシャンによる演奏に合わせて様々なペアやグループのダンサーが登場し、しっとりしたものからアップテンポで踊りもアクロバティックな激しい曲、「ラ・クンパルシータ」のような超有名曲までバラエティに富んだナンバーをエンターテインメントとして魅せるというもの。このときはベテラン・タンゴ歌手のアメリタ・バルタールも出演し、太くて迫力たっぷりの歌声を披露した。
ショー

アルゼンチン・タンゴ界の大御所、ファン・カルロス・コペスを中心としたステージ。若い女性ダンサーとじいさんという組み合わせで繰り広げられるダンスは、2011年にアメリカのミズーリ州ブランソンで見たアンディ・ウィリアムズ・ショーを彷彿とさせた。要するに、じいさんが桁外れに元気で現役であるということだ。
ショー

音楽、踊り、歌のすべてが楽しませる内容で、しかもいろんな趣向がテンポよく展開される(非常に今の時代らしい)ので1時間半のショーがあっという間に過ぎた。私たちは観劇のみであったが、食事をしながら見ていた人たちも楽しそうだった。

11月6日

ブエノスアイレスの街歩き2日目。

こちらに来て驚いたのは、街を歩いているとしょっちゅう本屋を見かけるということ。アマゾン全盛の世の中で地球上にそういう場所があったということが驚きだ。都市の文化促進のための団体、ワールド・シティーズ・カルチュア・フォーラムによると 、ブエノスアイレスは人口一人当たりの書店数が世界で最も多いそうだ。10万人あたり25軒、次に多いのが香港の22軒で、ちなみに日本は13軒。

ディスプレイが平積みなのも面白い。
本屋

タンゴ発祥の地であり、19世紀に港町として栄えたボカへ。ボカへ行くバスのバス停はすぐに見つかったのだが、運賃の支払い方を理解するまでにあれこれぶつかって1時間もかかってしまった。ロト屋さんでSUBEカード(日本のスイカみたいなもの)を買って無事出発。
街

ローカルバスは混雑していた。子ども連れの若いお母さんやお年寄り、50歳くらいのおじさんなど、いろんな人生を想像する。

11:30頃カミニート着。ボカ生まれの画家キンケラ・マルティンの活動から発展し、街中が様々なアートに彩られている。お昼過ぎからお店や人がにぎわい出して楽しくなる感じであった。タンゴ・ダンサーとポーズをとっての記念写真が人気(有料)。社会科見学(?)の生徒たちもいた。
街

エリア自体は小さく、周辺は荒くれた印象の街だが、カミニートの一角だけがカラフルでいろんな絵を売る人がいる。観光客相手だから、タンゴやブエノスアイレスをモチーフにした作品がほとんどだ。
街

街路の木々も毛糸でオブジェになっている。
街

壁画。
街

リアチュエロ川に沿って歩道が整備されている。
街

近くには南米屈指のサッカークラブ、ボカ・ジュニアーズのスタジアムがある。見学ツアーや歴代のプレイヤーの写真やユニフォームなどを展示した博物館もあった。
街

町中のちょっとした運動広場。ボカの歴史と誇りを感じさせる。
街

洗濯物干しのところにいたのは、カミニート版忠犬ハチ公か?
街

中心部に戻って、お昼は地元の人々でにぎわうパリージャ(ステーキ・レストラン)Parrilla Penaへ。ワインの保管場所が面白い。すっかり味を占め、昨日と同じワイナリーのマルベックをオーダーした。
レストラン

ここでも最初にエンパナーダが出て来た。
料理

お肉はロモ(ヒレ肉)。昨日の教訓から、焼き加減を減らした。とても柔らかい。
料理

ソースは2種類。トマトと玉ねぎの酸味があるもの。
料理

もう一つはにんにくとハーブのチミチュリと呼ばれるソース。
料理

お料理はさすが地元の人たちでいっぱいなだけあって、毎日通いたいくらいの味だった。アルゼンチンのお肉はしっかりとした噛みごたえ、味わいがある。この基準からすると、和牛の霜降り肉がいかにも軟弱に思えてくる。

メニューには肉の部位についての説明が書かれていた。テーブル・サービスを提供するスタッフも職人気質な感じのお店であった。
レストラン

夜は再びテアトロ・コロンへ。劇場のオーケストラのコンサート。チケットはあらかじめ予約していなかったところイマイチな席しか残っていなかったため、いっそのこと立ち見のチケットにした。6階まで階段を上るのは結構きつい。エレベーターの前にはお年寄りの行列ができていた。
劇場

舞台上にオーケストラのセッティング。
劇場

勾配があることがよくわかる。
劇場

演奏前のオーケストラ団員による抗議行動はこの日もあった。
劇場

プログラムはやはりリヒャルト・シュトラウス特集。メタモルフォーゼズ、オーボエ協奏曲、交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の3曲。オペラのときはマトモに聴こえたのだが、オーケストラ・コンサートになったとたん、弦の音程が怪しく表現が乏しいように聴こえたのはなぜだろう。。。

立ち見だったが、やはり立って聴くのは少ししんどかった。休憩後、前の列で席に座っていたおじいさんが隣の人が帰ったから座れと言ってくれたので座った。コロン劇場が自慢の様子で「初めて来たのか?」「中国人か?」と質問された(海外ではアジア人はまず中国人だと推定される。「ニーハオ」と声をかけられるのはザラ。富裕な人が多く来ているスイスのルツェルンでは「シンガポール人か?」と聞かれたこともある)。

「ツァラトゥストラ」の第一部が終わったとき、拍手をした人がいて客席のあちこちから「しーっ」という声が上がったのだが、そのおじいさんも「しーっ」と言ったところ、なんと気管にむせて咳が止まらなくなってしまった。その後の演奏中ハンカチで押さえながら必死にがんばっていたが、ついに耐え切れなくなり退席という事態に。私は親切に声をかけてくれた方がこんなことになってしまい、とても心配した。今ごろ救急車で運ばれていたりして、、、、などと思っていたら、終演するや否やピンピンして現れた。劇場内を案内したいと言う。彼は常連のようで、周りのお客さんやスタッフとも顔見知り。すれ違う人ごとに挨拶を交わして行く。すごい。結局ひとしきり案内してもらったのだが、この劇場が本当に愛されて皆の誇りになっているということがとてもよくわかった。そして彼のおかげで非常に思い出深い体験になった。ありがとう。

指揮:Enrique Arturo Diemecke
オーボエ:Lucas Macías

11月7日

満開のジャカランダの花。
街

広大な公園があるパレルモ地区へ。
街

パブリック・アートも多い。
街

ミュージアムにやって来た子どもたち。
街

リオデジャネイロ以来、がぜん南米の現代アートに興味がわき、MALBA(ラテンアメリカ芸術のミュージアム)へ。
ミュージアム

モダンでシンプルな建物。アルゼンチンだけでなく、ラテンアメリカの様々な作品が集められている。社会が反映されている作品が多い。
ミュージアム

企画展はアントニオ・ベルニ。ヒューストンのファイン・アーツ・ミュージアムと共同制作であったこともあり、英語の説明や記録なども充実していて見応えがあった。
ミュージアム

作品はいくつかのテーマに分けて展示されていた。女性をテーマにした一連の作品群は、布、毛糸やレース、金属、木片など様々な素材を用いて立体的に造形されているのが特徴。物質社会と貧困を扱った作品の中では、青年の身体が大きく折り曲げられているのが貧困問題の根深さやいろんな意味での自由のなさを表しており印象的だった。一生(夫)はその作品に最も反応していた。

街の中心部に戻る。世界一幅の広い7月9日大通りに立つオベリスコ。
街

銀行の前にあったビジネスマンの彫刻。とてもリアル。
街

同じ南米でも、サン・パウロはエネルギーがぎらぎらしていて、ぼやぼやしていられない雰囲気であったが、ブエノスアイレスは街のいたるところにカフェがあるせいか、ゆったりと時が流れている雰囲気。街並みも「南米のパリ」と評されるようにヨーロッパのよう。グローバリゼーション全盛の時代にあって、独特のテンポ感で進んでいるがゆえの近年の経済情勢なのか、はたまたそれでこそ「アルゼンティーナ」なのか、世界の大都市もいろいろなのであった。

(2014.11.4~11.7)

続いて、マチュピチュ編