エクスペディション・クルーズの時代~南極編~

ぱしふぃっくびいなすの世界一周クルーズ2015の目玉の一つは、南極クルーズに参加できることであった。参加してわかったのだが、クルーズの世界には「エクスペディション・クルーズ」なるカテゴリーがあり、小回りの利く小さなサイズの客船で自然やアドベンチャーをテーマにしたクルーズを行っている。単に訪れるだけではなく、「エクスペディション・チーム」と呼ばれるナチュラリストや専門家たちが同行し、彼らがクルーズの様々なアクティビティの中心となることで、参加者の知的好奇心が刺激される点が大きな特徴だ。

この形態のクルーズは実際に参加してみて非常に魅力的であったし、成熟した社会の人々のニーズにも合致していると思う。「エクスペディション・クルーズ」は南極以外にもアラスカ、北極圏、アマゾンなどの地域で行われているが、どんな内容が提供されているのか、何を面白いと思ったのか、南極での体験を紹介したい。

2015年2月21日、ブエノスアイレスに寄港中のぱしふぃっくびいなす。朝4時半にアーリーモーニングの軽食が用意され、5時半に船を出発した。下船口にはお見送りのディスプレイがあった。
船

飛行機で南極への起点となるアルゼンチン南端の町、ウシュアイアへ。飛行時間は3時間35分ほど。到着するといきなりパタゴニアの風景が広がっている。
風景

南極クルーズで乗船するのは、フランスのポナン社のル・ソレアル。2013年に就航したばかり。10700トンで定員は264名(ぱしふぃっくびいなすは26594トンで定員620名なので、それに比べても小さい)。実は2010年にエーゲ海クルーズに行ったとき、トルコのクシャダスの港で私たちが乗っていた船の隣に停泊していたのが、ポナン社の同型のル・ボレアルだった。すごくおしゃれな船を見て、「こういう船は日本人も普通に利用できるのだろうか?(白人ばかりの中に入ってなんとなく居心地悪かったりするのだろうか)」と思っていたものだから、体験できてうれしかった。

今回の航海は7泊8日でびいなすクルーズのチャーター。通常のル・ソレアルの南極クルーズは10泊の日程が多いので短い。参加者は100名強。びいなすからは松井キャプテン、クルーズコーディネーターの大浦さん、ツアーデスクのスタッフが5名、そしてポナン社の日本総代理店の方2名がコーディネーター兼通訳で乗船した。参加者が少なかったので、もともと広く取ってある空間がさらに広々と感じられて良かった。
船

南極へ行くには、事前に南極条約に基づいた環境省への提出書類や国際南極旅行業協会の規則に基づいた医師の健康診断書の提出など、特別の準備が必要。乗船してからも、通常の避難訓練に加えて、ゾディアックボートの乗下船方法やその時に着る救命胴衣について説明があった。さらには生態系保護のため、南極に外来種を持ち込まないよう、上陸時に着る衣服や帽子・手袋、カメラなどはすべて、ポケットの裏側まで掃除機をかけなければならない。また上陸用のブーツは船から貸し出されるのだが、上陸前後には消毒液の中を歩いてブラシで洗浄しなければならないルールになっている。

船の設備に関して、ル・ソレアルの客室のトイレはバキュームが強力なのだが、「日本人は細いので吸い込まれないように」と注意があってウケていた。ちなみにウォシュレットがついていないため、日本人の場合、人によっては不便を強く感じる。
船

17時頃ウシュアイアを出港。しばらくはピーグル水道の静かな景観が続いて実に平穏だったが、22時頃から次第に揺れが感じられた。
風景

翌22日は終日航海。夕方、キャプテンによるウェルカム・カクテル・パーティー。
パーティー

フランス船なので美食が売り。お部屋のテレビで厨房の様子が流れていたが、大型船と違って一度に大量に調理しないので、細やかな対応ができるとアピールしていた。
食事

南極へ行くには、世界で最も荒れる海域の一つであり、「絶叫する(南緯)60度」と言われるドレーク海峡を通過しなければならない。2階にあるレストランからの眺め。テーブルよりも波が高い位置にある。
波

どんなに揺れるのか、戦々恐々として出かけたのだが、ラッキーなことに5メートルくらいの波の高さに収まっていた。それでも酔い止め薬は欠かせず、「どんぶらこ」と大きく揺れるので落ち着いて本を読めるような状態ではなかった。

2月23日。本来はドレーク海峡を通過するのに2日かかる予定であったが、天候に恵まれて船を飛ばすことができたため、この日から上陸することになった。客船からゾディアックボートに乗り換えて出発する。
ボート

結構スピードが出る。最初は海に落ちないよう緊張して手すりを強く握って乗っていた。赤いパルカは支給される。日中の最高気温は5度くらいで、防寒もしっかりしているので特別寒くはなかった。
上陸

最初の上陸地はサウスシェトランド諸島のアイチョー島。ジェンツーペンギンが営巣している。換羽の途中の時期だったので、毛がたくさん落ちていた。糞などでにおいが結構きつい。ペンギンは大量にいるとかわいいというよりも、動物の生活圏を目にしているという感じだった。
ペンギン

ぺたぺた歩く様子は愛嬌がある。
ペンギン

ヒゲペンギン。
ペンギン

沖に停泊したル・ソレアルとともに。
ペンギン

羽を広げてかわいい。
ペンギン

午後はデセプション島に上陸した。アザラシ。
上陸

かつて捕鯨の港があったデセプション島。1932年まで使われていた捕鯨基地の跡が残っている。
基地

デセプション島は火山性カルデラなので地熱に海水が暖められて水蒸気が立っている場所があると聞いていたが、見つけられなかった。
上陸

上陸は午前と午後に1回ずつ組まれた。

2月24日午前、英国の基地があったポートロックロイ。現在は史跡博物館として一般公開されている。この日は波が高かったので島に着くまでのボートで激しく波をかぶり、カメラが壊れた人が続出。うちの防水でない方のカメラも壊れた。
上陸

1944~1962年に基地として使われていた。当時の缶詰だらけの暮らしぶりや観測・通信機器がディスプレイされている。
博物館

夏の間は売店と郵便局がオープンしている。このポストからハガキを出すのは旅行者のいわばお約束。切手代は1ユーロ、英国経由で配達される。
郵便局

午後からは南極半島で最も美しいと言われるパラダイスベイをボートで巡る。空気が清澄。
湾

チリとアルゼンチンの基地がある。これはアルゼンチンのブラウン基地。
湾

大小の山々に囲まれた湾。濃いグレーに近い紺色の海が印象的だった。ゾディアックボートのクルージングはスピード感があり、しぶきが上がる。かぶった海水はかなりしょっぱかった。アウトドア用の防水手袋をはめていたが、完全防水ではなかったため水が染みてきて手がかちかちに冷たくなった。各ボートには毎回エクスペディション・チームのメンバーが案内役として同乗する。
湾

氷河を近くで見る。光の反射で青く見えるのが神秘的。
湾

2月25日。南極クルーズは「南極」と言っても過酷な自然環境の南極大陸を行くのではなく、南極半島周辺の島々を巡る内容になっている。その中で唯一南極大陸に上陸するのが、ネコハーバーである。よってここを訪れるのはクルーズのハイライト。この日は曇っていたので、一面グレーの静寂な世界が広がっていた。
湾

押し出された氷河が崩落して浮いている。
湾

崩落の瞬間は見られなかったが、ゴーッという超低音が轟いていた。基本的に無音な空間なのでインパクトがあった。
湾

雪道をすべりながら見晴らしのよいスポットまで上がる。厚着していたので汗をかいた。湾を一望できる場所でしばしの間眺めに浸る。湾の景観と停泊する船は絵になった。
湾

ジェンツーペンギンの営巣地がある。毛が生え変わる時期はずっと立っていなければならないそうだ。反抗期みたいな表情がナイス。
ペンギン

「南極のペンギン」のイメージ通りの光景。
ペンギン

ル・ソレアルの操舵室は基本的に公開されている(オープン・ブリッジ)ので皆が集まっていた。
船

クジラが見えると大騒ぎ。船長の「○○の方向にク・ジ・ラ!」というアナウンスが放送されると、船内のどこで何をしていても皆一斉に出て来て、あっちだこっちだと追いかける。5頭いっぺんに見えたときもあったのだが、特にエクスペディション・チームのメンバーの盛り上がりように驚いた。子どもみたいな好奇心なのだ。本当に好きなんだ、こういう生き方もあるんだなと彼らを見て感慨深かった。
クジラ

エクスペディション・クルーズの大きな特色は、非常に柔軟にオーガナイズされているということ。訪問地や航路は天候や風の強さなどの諸データを見ながら状況に応じて決められる。したがって予定は本当に予定であって、しょっちゅう変更になる。特にクジラやシャチなどの動物に遭遇する機会をできるだけ多くつくるために最大限の努力がなされるので、群れの近くに行くと船内イベントが予定されていても中止。すべてのエネルギーがクジラに向けられる。

オットセイがたくさんいた氷山。
景色

南極クルーズで一番心に残ったのは、この日の午後訪れたウィルヘルミナ湾の光景だった。
湾

海に氷が浮いているのだが、曇り/雪の天気であったため、全てが白、グレー、黒の静的な世界。私は静かな場所が好きなのだが、本当にしーんとした中を一隻の船だけが進む。どこまでも静寂が広がる世界は格別だった。

水面に氷河が反映しているのが幻想的で、この光景をいつまでも見ていたかった。正面の山は2000メートルある。記念の集合写真を撮影するためデッキに集まった。
湾

エクスペディション・チームは訪問地の事前説明や上陸時のガイドを担い、そして最後にクルーズの総まとめとして一人ずつ専門分野のプレゼンテーションを行った。メンバーは南極観測隊の経験者をはじめ、クジラやアシカなどの海洋生物や鳥類の研究者、水族館でのキャリアを持つ人など様々なバックグラウンドを持ち、国籍もヨーロッパ各国~南北アメリカとバラバラ。この多様性のおかげで各人が違うアプローチで貢献していた。ここがポイントだと思う。情報提供には日本語通訳が入ったのでわかりやすかったが、どうしても時間あたりの情報量は半分になってしまう。日本人向けのチャーターではなく、一般のクルーズだったらどんな内容を提供しているのか体験してみたかった。

エクスペディション・チーム。
チーム

普通のクルーズは寄港地と船内イベントが中心となる船内生活は別ものだが、エクスペディション・クルーズは行き先はもちろん船内も見える景色も含めてすべてがエクスペディション(探検)の一環になっている。これが参加者に濃い体験をしたと感じさせる要因なのだ。こういうちょっとチャレンジしなければならなくて知的な刺激があるクルーズを求める人は多いのではないか。現にぱしふぃっくびいなすの世界一周クルーズ2015でも一番の思い出は南極クルーズだったと挙げる人が続出した。

エクスペディションが主役なのでエンターテインメントは脇役となる。ダンスとクラシックのピアノ演奏、バンド演奏があるのみ。他に南極関連の映画の上映があった。ダンスは船が揺れたので過酷な条件下。一人いた男性ダンサーは足を痛めてしまった。
画像の説明

ドレーク海峡は帰路も往路と同じくらいの揺れで済んだ。南アメリカ大陸最南端のティエラ・デル・フエゴ諸島の最南端にあるホーン岬。アホウドリを探して航海。
岬

キャビンにいる間、本を読むのは酔って気分が悪くなるのであきらめた。部屋に用意されていたエンターテインメントの中で私たちがいつも聴いていたのは、マリア・カラスのオペラ・アリア集だった。映像はなく音声のみ、オーケストラ伴奏でいろんなオペラのアリアが1時間50分くらい続く。最初はやはり当世風の歌い方に比べて古臭いように感じられた。しかしオペラ・アリアばかりを延々と聴いているうち、軽いものから重めのものまでレパートリーが異様に広いのと、技巧的にどんな細部もゆるがせにしていないことに次第に耳が(?)釘付けになって行った。その姿勢が愚直なほどに感じられたのだ。今こんなことに挑む歌手はいないなと思った。私はこれまでカラスを音だけでこれほど集中してたくさん聴いたことがなかった。たくさん曲が流れたが、私が一番感銘を受けたのは「私の名前はミミ」。この曲は超絶技巧は何も要求されないけれども、物語りふうな語り口の中に劇的な盛り上がりもあって、そしてかわいらしいという起承転結が意外に難しい。素晴らしいと思った。このオペラ・アリア集は部屋にいる間毎日繰り返し聴いていたので、南極クルーズはカラスの歌とともに思い出されるものになった。

ピーグル水道に戻って来た。航海が終わりに近づく。
景色

フェアウェルパーティー。サイン入り航海図のオークションがあった。過去ぶっちぎりの高値で競り落としたのは中国人だそう。南極旅行は中国人に人気で、近年の訪問者数は年間3000人とも言われる。
パーティー

ル・ソレアルの食事ともお別れ。食事を総括すると、レベルが高かったのはまずチーズ。品揃えや熟成管理などフランスの食文化の基本が感じられる内容だった。もう一つはシンプルなチョコレートムース。これも基準が高い表れだと思う。ビュッフェで並んでいたスイーツ類の中でこれが断然ハイレベルだった。そしてバターの層がちゃんとしていたクロワッサン。料理では目の前で調理してくれたものの味が印象に残った。魚介のシチューのようなもの、ビーフ・ハンバーガー、朝のフレッシュハーブのオムレツなど。
食事

2月27日19時頃、ウシュアイア港に先に入港していたぱしふぃっくびいなすと合流。デッキから手を振り合い、汽笛を応酬して感動的だった。この晩は港に停泊したル・ソレアルに泊まった。
船

2月28日、クルーズ終了。朝のウシュアイア。独特の趣がある町だ。
町

観光業が発達し、ひと昔前には想像できなかった南極のような場所が旅行の行き先として商品化され、しかもラグジュアリーな船で訪れることができる。すごい時代になったものだ。次はどういうものが商品化されるのか、まだ何が残されているのか。人間の欲望は果てしないということなのだろうか。

(2015.2.21~2.28)