世界遺産に登録される前のバガンを訪ねて~ミャンマー編

2014年9月10日、スターアライアンスの世界一周航空券を使って世界を一周するプロジェクトがいよいよ始まる。7~8月と出かけたヨーロッパの夏の音楽祭をめぐるツアーから日本へ帰国したのが8月25日。金沢での拙著『古都のオーケストラ、世界へ!』のマスメディア向けプロモーション、9月6日の岩城宏之メモリアル・コンサートに合わせた発売とあっという間に時は過ぎ、細かな下調べなどはほとんどできないまま出発となった。

最初の訪問地はミャンマー。近年発展が著しいと報道されるヤンゴンを実際に自分の目で見てみたかったことと、一生が大学時代からバガン遺跡を訪れたいとずっと思っていたことによる。ANAの直行便(NH913便)を利用。

成田で出国ゲートを出て搭乗を待つ間、ミャンマーの情報をインターネットで見ていたら、現地通貨に公定レートと実勢レートがあり、ATMやクレジットカードは公定レートが適用されて何倍もの請求が来ると書いているいくつかのブログを発見する。少し情報が古いので現在は違うかもしれないと思いつつも青くなる。普段の旅行では現地通貨をATMでキャッシングし、支払いは基本的にクレジットカードを使っているが、ミャンマーでは現金を用意すべきなのかもしれない。あわててゲート内の銀行を探し、手持ちの円で米ドルを買い増した(1米ドル108.28円、為替がどんどん円安に進むのが悲しかった)。

帰国後に調べたところ、ミャンマーにはかつて公定レート、公認市場レート、実勢レートの3種類があり、公定レートと実勢レートには240倍もの開きがあったりしたのだが、2012年4月にこの多重為替制度は廃止されたとのこと。それでも公定と実勢の開きはかつてのように極端ではないものの残っており、やはり米ドルのキャッシュを用意してよかった。

ヤンゴンには定刻の15:40着。ヤンゴン国際空港(通称ミンガラドン国際空港)から近く、車で10分ほど走ったところにある「ハイファイブホテル」に1泊し、翌朝早い便でバガンへ移動する日程だ。バガンへはエア・マンダレーの便を予約したが、この予約方法が体験したことのないものだった。ウェブサイトで予約できるのだが、支払いのページがないまま予約完了になる。不思議に思っているとEメールが来て、支払いはフライトの3日前までにエア・マンダレーのヘッド・オフィスに来て米ドルのキャッシュで行い、チケットを受け取るようにと書いてある。前日の夕方ヤンゴンに着くので無理だと返答すると、ヤンゴン到着時に空港のエア・マンダレーのカウンターで対応してくれるとのことだった。さらにフライトの1週間前にメールが来て、今度は搭乗する便が欠航になったので、予約はエア・バガンの同時間帯のフライトに引き継がれたという内容。そんなこんなの経緯から一抹の不安を抱えつつ、ヤンゴンの空港でエア・マンダレーのカウンターを探すこととなった。

場所は国内線のターミナル。国際線の出国ゲートにある専用カウンターでホテルまでのタクシーを頼んだので、運転手のお兄さんが案内してくれることになった。いったん建物の外に出て左手に進んだ隣のビル。むし暑い。ヤンゴン国際空港は、国際線のターミナルは一応体裁が整っている風だが、国内線はミャンマー風の建物で照明が暗く、ぐっとローカルである。カウンターが並んでいる一番端にエア・マンダレーはあったが、誰もいない!フロアには空港職員と思しき民俗衣装を着た人が何人かいた。お兄さんが声をかけた人が奥へ探しに行ってくれる。「待っていろ」と言われて椅子に座って待つこと15分。来ない。再度電話をかけてくれてさらに待つ。汗だくになってひたすら待っているとお姉さんが現れた。エア・マンダレーのスタッフである。「ごめんなさ~い」と事務処理開始。用件は理解しており、ぱきぱきとしている。事務はオフラインで、紙の航空券は手書き。お姉さんは複写になっている用紙にずんずん記入していく。「いまどき手書き!」と驚いて見ているうちに書き終わった。運賃を払って航空券をもらう。これで無事にバガン行きの飛行機に乗れそうだとホッとする。

宿泊したホテルの周辺。のどかな光景。
ホテルの周辺

仕事から帰宅する時間帯だったためバスは混雑。
バス

スーパーに並ぶ炊飯器。昭和の時代の製品を思い出すが、「MISUSHITA」?
スーパー

夕飯に食べた汁ビーフン(鶏肉とレバー入り)。東南アジアの大衆食堂らしく化学調味料の味が強かった。
ビーフン

ホテルはインターネットの宿泊予約サイトでテキトーに選んだ粗末なホテルだったが、出迎えスタッフが7人くらいいた。チェックイン時におしぼりとなみなみ注がれたオレンジジュース(バヤリースみたいな味)を出してくれたのだが、飲んでいる間もスタッフがフロアにぞろぞろいて落ち着かず。宿泊料は日本円で約5300円、最近のヤンゴンの宿泊事情はビジネス客の増加で需給バランスが崩れて料金が急騰、割高感満載だ。WiFiはあったが、ほとんど動かないくらい遅かった。トイレとシャワーが分かれておらず、シャワーを浴びると床が水浸しになるバスルームだったため、そろそろと過ごす。

9月11日

バガンへの移動日。朝3:50起床。4:30にタクシーが迎えに来た。運転手は昨日のお兄さん。別れ際にしっかり翌日のアポを取るなどビジネスの基本を身体で習得している。

空港の国内線ターミナル。少し早く着いたのでベンチで待つ。
ターミナル

事務はオフラインでのんびり進む。
ロビー

空港バスに西武バスを発見!西武沿線の住民なので感慨深かった。
バス

こちらへ来て想定外だったのは、米ドルから現地通貨への両替は、高額紙幣の方がレートがよいということ。アメリカでは100ドル札や50ドル札をお店で使っている人を見たことがなく、高額だと偽造のチェックが厳しいというのも頭にあったし、お釣りの問題もあるから少額紙幣で持って来ていたのでショック!

7時40分、エア・バガンにてバガン到着。1時間ちょっとの空の旅はスリリングであった。なにせAirline Ratings.comによる世界のエアラインの安全性評価で、エア・バガンは要注意カテゴリーとなっている。白人客が多かった。
エアバガン

バガンの空港ターミナル。さらにのどか。
ターミナル

9時前に宿泊するバガンタンデホテルに到着。オールドバガンにあるリゾートホテルだ。朝なのでチェックインができるかどうか不安だったが、快く部屋に通してくれた。支配人の挨拶を受け、スタッフも笑顔で雰囲気が良く、部屋もきれい。
ホテル

ホテルから早速歩いて出かけるも、馬車のお兄さんの強力な売り込みにあい、前へ進めず。のら犬も5~6匹いて狂犬病がこわい。とても暑かったこともあり、出かけるのは断念。朝早く出発したので、とりあえず寝ることにする。12時過ぎに目が覚める。

ホテルの側を流れるエーヤワディー川。
川

ホテルの支配人に工芸の専門学校で開催される漆器展へ誘われる。ミャンマーには11世紀から漆工芸の伝統があり、日本の漆工芸とも交流がある。展覧会には宇都宮大学の松島さくら子先生をリーダーに同大学の学生も参加しており、栃木県出身の一生は同郷の人々との出会いに喜んでいた。展覧会はタイなど、アジアのいろんな国のアーティストによる作品が並んでいた。

作品ごとに作者の解説があった。
展覧会

ミャンマーの漆工芸。
作品

14:30ホテルの支配人おすすめのガイドさんと馬車で遺跡めぐりに出発。

バガンで最も美しい建築とされるアーナンダ寺院。観光客多し。
寺院

バガンの仏塔や寺院は、エーヤワディー川中流域の平野部約40キロ平方メートルのエリアに約2500も点在している。11世紀から13世紀に建設されたため、様式は球根型・円筒型・階段ピラミッドがあるものなど変遷しており、大きさも様々。きちんと管理されており観光客が多いものから、おじいさんが一人で守をしている寺院、道端の祠みたいなものまでいろいろあるが、建築物も仏像も一つひとつ違っている。そして今も人々の信仰の対象として生きており、過去の遺産になってない点が大きな特徴だ。

シュエサンドー・パヤー。階段は結構急。靴を脱がずに階段に上がってしまい、しこたま怒られた(ごめんなさい)。靴は日本人の感覚からすると、「えっ、ここで脱ぐの!?」というくらい建物の手前で脱ぐようになっており、足裏が真っ黒になるような場所を歩くが、気にしていたら始まらない。
寺院

たけのこがボコボコ生えているみたい。ずっとそこにいたい光景。
風景

バガンの平原が続く眺めはのんびりのどか。例えばアジアの世界的な寺院遺跡であるアンコールワットが近年は観光客で非常に混雑し、あまりの人の多さが魅力を減じることになってしまっているのとは対照的である。現状のバガン遺跡は管理運営面の問題、区域内にゴルフ場や展望タワーがあるなどの問題により、ユネスコの世界遺産には登録されていない。世界遺産には保存のための規制が多くあるため、現在進行形で仏教信仰の対象として利用することと相容れない側面もあるのだが、将来的に世界遺産になった場合、世界中から観光客が押し寄せることになるのだろうか?国が成長して観光業が発展して行き、それに伴って観光客が増えることも不可避なのだろうと思いつつも、この「のんびりのどか」な光景が失われてほしくないと思わずにはいられなかった。

現状、道路はごく一部を除いて舗装されておらずガタガタ。バスなどの大型車両とすれ違うとすごい砂ぼこりで、砂にタイヤをとられる車も見かけた。

スラマニ寺院。金箔を貼ってお祈りする。とにかく信仰が生きていることに強烈な印象を受けた。
寺院

夕焼け。
夕焼け

9月12日

夜中にコテージの屋根の上を走る物音と声あり。動物か?

朝ごはん。ココナッツの汁に麺をあえて食べるモヒンガー。テーブルに食べ物を置いたままビュッフェの料理を取りに離席すると速攻でカラスが飛んでくる。自然のままなのだ。

フレッシュなすいかジュースが何よりもおいしかった。
画像の説明

この日はホテルでゆっくりして夕方から徒歩で散策。また馬車の勧誘にあう。今度は一家の大黒柱のお父さん。今日まだ仕事してなくて困っているからどうしても乗ってくれと小一時間ついてきた。歩きたかったのと、現地通貨の現金を残しておきたかったので、こちらもひたすら断る。
寺院

川沿いのパヤーでおばさんが売っていた川えびのかき揚げがとてもおいしそうだったけど、中国で言うところの毒油かもしれないと頭をよぎり、まだ旅の出だしであったこともあり、試すのを断念した。

マハー・ボディー・パヤー。曜日ごとにお参りするようになっているが、伝統歴で八曜日ある。
寺院

9世紀の城壁の名残タラバー門。夕食はこの近くのレストランでタイ料理に近いミャンマー料理を。
タラバ―門

夕焼け。夜はライトアップされる。
夕焼け

9月13日 ポッパ山詣で

10:45ホテルをチェックアウト。ガイドブックを見てどうしても行きたかったポッパ山へタクシーをチャーターして一日観光。きれいな道路をひたすら走る。

途中、やしの作物をつくる農家を訪れる。パームシュガー、ごまなどは美味だった。写真はパーム油を絞っている。
農家

ポッパ山はバガンの南東約50キロメートルの場所にある、25万年前に活動を停止した標高1518メートルの死火山。この山の麓にあるタウン・カラッと呼ばれる岩峰(737メートル)は、その特異な外観のため、古くバガン王朝の時代からミャンマーの土着宗教であるナッ信仰の聖地とされてきた。

これがその聖地。遠くから眺める岩峰は圧巻。
ポッパ山

派手な入口。777段の階段を登って行く。
入口

参道には途中猿がいっぱいいる。
サル

登り切った眺め。
眺め

ナッ信仰はビジネスの成功など、現世的な御利益を願うもの。ろう人形でできているナッ神像がずらっと並んでいてすごくインパクトがある、というかビビるのだが、そこへ何枚もの紙幣をねじ込んで行く。みんな時間をかけてものすごく熱心に祈っていた。

これが神像なのか、最初はわからなかった。仏様にも電飾がなされている。
神像

参道にはたくさんのみやげ物屋が続く。
参道

昇るときは777段も予想したほどしんどくないと思ったが、降りてくるときは膝が笑った。

門前にもお店が並ぶ。
お店

お昼に食べた焼ビーフン。これまでの人生で体験したことがないくらい蝿が飛んでいた。
ビーフン

この後バガンへ戻り、17時過ぎに定刻より少し早く出発した便でヤンゴンへ向かった。

ヤンゴンの空港から市内まではタクシーで30分ほど(渋滞していない時間帯だったため)。空港からの道路は整備されており、非常に近代化された印象を受けた。

ホテルは中華街のビルが雑居している中にある(ホテルグランドユナイテッド21stダウンタウン)。喧騒がすごい。到着したとき、「えっ、これ?!」とビビった。

早速中華街へ繰り出す。たくさんの屋台、ローカル・レストラン。
中華街

串に刺した食材が並んでおり、好きなものを選ぶと焼いてくれるレストランに入った。近くの席で地元の若い子たちが合コンで盛り上っているのが微笑ましい。

この後、屋台でちまきと蒸餃子を買い、ホテルの部屋で食べたのだが、夜中に気分が悪くなって目覚めた。はきそう。。。

9月14日

朝目覚めても体調すぐれず、朝食はフルーツを少しのみ。

朝食会場であるルーフテラスからの眺め。昨晩空港からの道路で受けた近代化されたイメージとは全く違う光景が広がる。
眺め

街へ繰り出す。中華街のとなりはインド人街が広がっていた。喧騒とその営みのパワーにひたすら圧倒される。
インド人街

マハバンドゥーラ公園と独立記念塔。一生が学生時代に泊まったホテルは廃墟になっていた。途中でやはり気分が悪くなり、スーレー・パヤーまでしかたどり着けず、タクシーでホテルへ戻る。ヤンゴンに来ておきながら、その象徴とも言えるシュエダゴォン・パヤーへのお参りは幻となってしまった。無念!
塔

結局、この日はホテルで寝ることに。夜ルームサービスで野菜スープとおかゆをオーダー。おかゆはあみの塩辛みたいなやさしい味わいで救われた。

なぜ体調を崩したか考えるに、非常に蒸し暑い中ポッパ山で張り切り過ぎたこと、ローカル・フードや屋台の食べ物を警戒感なくたくさん食べたこと、東南アジア特有の黄色い油(パーム油?)にやられたことなどが考えられる。最初の訪問地ミャンマーで体調を崩したことで、横になっているとき「この先どうなるの?」という不安が頭をかすめた。

という訳でヤンゴンをアグレッシブに見て回ることはできなかったが、発展している場所は一部であり、まだまだこれからの都市という印象を受けた。来る前のイメージとはだいぶ違った。ありきたりだが、メディアを通して知るのと実際に見るのとは大きく異なる。

バガンとポッパ山は本当に行って良かった!ミャンマーの人々の信仰の篤さが感じられたこととバガンの広大な平原に仏塔が点在している光景、緑と茶色のコントラストは特に印象に残った。バガンの遺跡が今後どう展開していくのか、ミャンマーの国の発展とともに注目していきたい。

(2014.9.10~9.14)

続いて、バンコク編